バスケットボール日本代表の買春事件、どう思いましたか?
Zdravo, vsi.
@handballanalysis
ハンドボール分析屋です。
記事を書いてみて、「あ、まだ専門分野の難しい知識は需要ないなこれ」と感じたので、早いですが路線変更しますw
というか、少し言っていた気がしますが、スポーツ全般の話題に触れながら、ハンドボールへうまく導くようにしたいと思います。
難しいかもですけど。笑
タイトルの事件、みなさんご存知でしょうか?
バスケットボール日本代表選手が、アジア大会の最中、公式ウェアを着たまま女性を買ったという話ですね。
これに関する批判は別として、こんな記事を見つけました。
川淵さんといえば、現在日本バスケットボール協会の偉い人で、バスケットボールのリーグを1つにまとめたりといろいろと尽くしてくれている方...と認識しています。
彼は買春行為について「弁解の余地はない」としていますが、同時にこの記事では、
「新聞記者のとった態度に納得がいかない」
「間違いなく社会的に問題ある行為が正に行われようとしている時に同じ日本人として何故注意してやれなかったのか」
「スクープ!と思っただけの記者の態度に疑問を感じる」
と述べています。
正直、
よく言ってくれた
と思いました。
が、しかしこういう記者がいるということが、日本におけるスポーツの位置づけを表しているのでしょう。
記者の人は、よっぽどの馬鹿でない限り、その内容が世に出たらどのような反響があるかわかるはずです。
当然ですよね。
そこを勘定に入れなければお金にならないので。
つまり、「バスケットボール」の「日本代表選手」が「アジア大会の最中に」買春しているところを報道すれば、
「バスケットボール」が、「日本代表選手」が、「アジア大会」が、どうなるか予想できるはずです。
しかし、それよりも「スクープ!」の方が強いわけです。
もちろん、悪いことは悪いこととして制裁が必要だとも思います。
許してやれ、とも言うつもりはありません。
ですが、もっとスポーツが日本の中に文化として根付いていれば対応は変わっていたのではないか、と思うのです。
川淵さん
次の世代を担う我々が必ず、スポーツを文化に
...
できるといいなあ。笑
僕も買春行為については弁解の余地はないと思います。と同時に、このニュースを聞いたとき、キリストの例の「あなたがたの中で罪のないものだけが、この女に石を投げつけるがよい」というエピソードを思い出しました。似たようなことをしながら、平然と石を投げる側に並んでいる人がテレビ画面の中にもいるのではないかと思ってしまうのですが。
コメントありがとうございます。
日本人特有かどうかはわからないのですが、ネットを見ていると「誰かを悪者にするのはとても簡単で、明快なんだな」と感じます。
善と悪ははっきりとした境界線が引かれているわけではなくて、本来はその境界線上で悩んだり迷ったりしながら進んでいくものだと思います。
誰かを悪者に仕立て上げることができれば、それを叩く自分を相対的に善にできる、という考えが強い気がします。
うーん、話がずれてきましたw
またよろしくお願いいたします!