雑記:プロトコルと「欲望のエデュケーション」
「欲望のエデュケーション」という言葉がある。まずは黙って引用する。
ref. https://www.ndc.co.jp/hara/prospects/2011/06/post_1.html
欲望のエデュケーションという言葉が、ここしばらく発想の起点にある。人々の希求に応じてものが生み出されるなら、希求の質がものの質に作用する。おなかの希求に添ってベルトの穴を緩めていくと、しまらないファッションが出現するだろう。「ニーズ」は往々にしてルーズである。だからニーズには教育が必要だ。欲望もエデュケーションも生々しい言葉だが、代わる言葉が見つからない。エデュケーションという言葉には、教育というよりも潜在するものにヴィジョンを与えて開花させるというニュアンスがある。デザインとは、ニーズの質、つまり希求の水準にじわりと影響をおよぼす緩やかなエデュケーションでなければならない。よくつくられた製品にこめられた美意識に触発されて小さな覚醒がおこり、つぼみがふくらむように暮しへの希求がふくらむ。ふくらんだ希求に呼応してものが生み出される、その無数の循環と連繋によって、文化の土壌が出来上がっていく。デザインとは土壌の質への関与なのである。
最近、Blockchain 上でプロトコル(ここではとりあえず「トークンという新しいインセンティブを利用したゲームルールを規定する抽象度の高いスマートコントラクト」を指すこととする)をデザインするにあたって、これと同じことを考えている。
もっとピンポイントで言うと、
デザインとは、ニーズの質、つまり希求の水準にじわりと影響をおよぼす緩やかなエデュケーションでなければならない。
ここで言う「デザイン」を「プロトコル」と言い換えられる状態を目指している。
例えば、今の世の中には、コンテンツを評価するためのルールが様々なサービスに組み込まれている。Google とか Twitter とかにも組み込まれている。そして、そのルールをハックするための手法がある。Google であれば、検索上位に表示するための SEO であり、Twitter であれば、バズを巻き起こすためのノウハウなどである。コンテンツの評価ルールは、上記「希求の質」の一部となり、上記「もの」に相当するコンテンツの質に影響を及ぼす。
つまり、Google 検索上位に表示される web ページや Twitter でバズってるツイートにそこまで価値を感じない自分のような人間が価値を感じるコンテンツを増やすには、ニワトリタマゴのような話かもしれないが、コンテンツをつくる側よりも評価する側に重きを置いたプロトコルをデザインし、それに由来する合理性によって緩やかなエデュケーションを起こす必要があるのではないだろうか?ということである。
皆さん、どう思います?
数値化が個人の主観性を失わせる恐れがあると思っています。
モノゴトが一定の評価基準で数値化されたとたん、手段と目的が逆転し、定性的な自身の本来の感性を深く向き合うよりも、無思考に数値を求めるところがあると思うからです。
今後は定性的な部分が再評価されていくように思います。
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コメントありがとうございます!
おっしゃる通り、自分も数値化の代償は大きいと思います。
ただ、まず前提として、「欲望のエデュケーション」自体は数値化を推し進める概念ではなく、「潜在的な感性を開花させるためのニーズ教育」を意図した概念なので、どちらかと言うと感性を重要視しているものと認識しています(自分もどちらかと言うと感性重視です)。しかし、自分が考えているような cryptoeconomic なプロトコルによる合理性のデザインをその手段の 1 つと考えてしまうと、確かに何らかの数値化が生じてしまうはずなので、そのデメリットをうまく緩和する必要が出てくると思います。
一方、数値化にはメリットもあるはずで、例えば「わかりやすい成果の可視化」という意味で、モチベーションの源泉になるとも思います(筋トレの原理)。また、その数値が本質的なのであれば、極論、その数値を高めるための手段が目的化してもよいほどの価値を持つこともあるのかなと思います。ただ、既存の世界では、数値を高めるための手段がハック可能であることも多々ある(例えば、Twitter でフォロワーをお金で買うなど)ので、ここをハックできないようにする工夫などが必要だとは思います。
数値化を手段として感性が緩やかに開花していく状態、一見矛盾しているように聴こえるのですが、うまくできる方法を模索してみたいなと思っています。
同感です!
流動性等を考えると数値化はとても重要だと思っています。
また、コメントいただいたように本質的な数値化は正のサイクルに有効だと思います。
ハックできない工夫について、なかなか難しいですがそうですね!
このあたりは様々なエコシステムが複雑かつ自然に入り乱れればハックが難しくなりそうですね。
最近問いとして「個の主観」が尊重されつつも異なる個の主観が融合することもできる社会を模索できたらなぁと思っていました。
テクノロジーやメカニズムというよりはコミュニティなど社会文化的側面の方から感覚的に探っているのですが、徐々にテクノロジーやメカニズムと合流させていけたらと思っています。
(下記のリンクはその発想(クロスコミュニティ)に関して最近作成したコンセプト資料です)
https://speakerdeck.com/showyingart/kurosukomiyuniteidu-riniao-netutowaku
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資料拝見しました!クロスコミュニティ、とても大切だと思います。し、みんながクロスコミュニティ人材になろうというのは違う、という点も共感します。
自分も、上記の合理性の一部として流動の障壁を下げるような力学は生みたいなと思っていましたし、緩やかな流動によって潜在的に強い共感力を有したコミュニティが潜在したまま終わらないような社会にできればよいなと考えています。
また考えが進んだら何か書くかもしれないので、その際は是非またコメントいただければと!
ご覧いただいてありがとうございます!
楽しみにしております。
scrapboxなどもたまに覗かせていただいて勉強させてもらっております^ ^
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